「主イエスの愛のまなざしの中にいる」 06.10.29
                         エフェソ5:21〜33

 主イエスは、教会をわが身のように愛し、養い、いたわって
くださいます。そして、教会に連なっている私たち一人一人も、
主イエスにわが身のように愛していただいています。
 教会は、神さまの働きかけなしには誕生できませんし、存在
できません。人間がどんなに考え、願い、努力したとしても、
教会は生まれません。ペンテコステに神さまの聖霊が降って
教会が誕生したように、どの教会も聖霊を抜きにしては誕生も
存続もできません。
 また、「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしが
あなた方を選んだ」と、主イエスがおっしゃったように、主の
招きなしに、教会に集い、主と共に生きることはできません。
 今ここに教会があり、そこに私たちが集っているのは、神さまの
恵みの御手に包み込まれているからにほかなりません。
 そのような教会を、主イエスが、どれほど愛しくご覧になって
いるかを、今日の御言葉は知らせてくれます。
 主イエスが、わが身のように教会を愛してくださるというのです。
 私たちは、自分の体の調子が悪いからといってそれを切り捨て
てしまうことはありませんし、いっそう大事にします。主も、
そのように教会をご覧くださいます。
 夫婦は二人で一体となりますが、主イエスが教会を一体の
相手のように見なしてくださるというのです。効率を優先する
ならば、一人のほうが良いのです。
 しかし、効率よりも、教会やそこに連なる私たちと一緒に歩む
ことを優先してくださっているという事です。欠け多き私たちに
ペースをあわせて歩みたいと、願ってくださっているという事です。
 教会も、そこに連なる私たちも、主イエスに愛されるにふさわしく
ない、罪や欠けを抱えています。
 しかし、それらを取り除き、清め、聖なるものとするために、
主は十字架にかかってくださいました。
 
主の愛の強さ、大きさを見失う必要はありません。
 主イエスの 愛のまなざしの中に包み込まれている幸いを、
心から喜び、その愛に応える歩みへと進み出たいのです。